2025-10-25

大腸がんステージ3b治療記録 その8 術後補助化学治療3クール目

 抗がん剤による術後補助化学療法の2クール目は、1クール目と比べると副作用がやや出つつも、生活には支障のない状態で終了しました。

 3クール目に入ります。治療前の血液検査では特に問題はなく、腫瘍マーカーも安定していました。この腫瘍マーカーは傾向を把握するためのものです。私の場合、手術直前の血液検査でも高くなかったため、あまり当てにはならないとわかってはいるものの、やはり気になりました。

 副作用の出方は2クール目と大きな差はなく、しびれの症状に注意しながら過ごしています。具体的には、夏場ではありましたが、ほぼ手袋を着用していました。また、水も冷たいものは避け、お湯を飲むようにしていました。

 1つだけ、血管痛の期間がわずかに延びたように感じました。生活に支障はないものの、触るとピリピリするので気になりました。

 この抗がん剤は髪の毛が抜けないと聞いていましたが、その通り、髪の毛は抜けていません。

 4クール目以降については、次回以降に書いていきます。

2025-10-04

大腸がんステージ3b治療記録 その7 術後補助化学治療2クール目

  抗がん剤による術後補助化学治療1クール目は、さほど大きな副作用もなく、終了しました。

初日のオキサリプラチンの点滴、2週間の経口剤であるゼローダの服薬、そのあとの1週間の休薬後、2クール目を迎えました。

 1クール目と同様、まずは血液検査をし、その結果が出てから主治医の問診がありました。

主治医から副作用の症状とかを聞かれました。血管痛について伝えたところ、「一般的な症状」とのことでした。また、血液検査の結果、骨髄抑制もなく問題なく2クール目ができるとの判断で、2クール目を実施することになりました。

 今回は、血管痛対策として、オキサリプラチンを点滴するときに、生理食塩水も同時に投与することで、オキサリプラチンの濃度を下げながら点滴することになりました。そのおかげで、血管痛は若干和らぎましたが、投与量が増えたため、時々、点滴が規定量流れず、看護師の方に調整していただく必要がありました。

 無事、点滴も終わり、家に帰ってから、夕食後、ゼローダを服用しようとしたときに、問題が起きました。1クール目の時は、1回の投与量5錠を一気に飲んでいたのですが、同じようにすると薬が飲み込めず、せき込みながら何度も水を飲みながら流し込みました。これ以降、薬は1錠ずつ飲むことにしました。

 副作用については、1クール目と大きな違いはなかったのですが、手の指先のしびれを感じる日数が1日から5日に増えました。ただ、この副作用は冷たいものに触れたら出るので、手袋をしたり、温水を使用することで、大きな問題にはなりませんでした。

 何とか8クールを続けられそうだと思いながら、無事に2クール目を終了しました。

 3クール目以降については次回以降で書いていきます。

2025-09-08

大腸がんステージ3b治療記録 その6 術後補助化学治療1クール目

  仕事に復帰して1週間が経った月曜日、1回目の抗がん剤治療の日が来ました。未知の体験に、不安になりつつ、まずは血液検査です。私が通っていた病院では、抗がん剤治療をする人は、その結果の後、抗がん剤治療を行うため、優先的に血液検査をしてもらえました。

 8時過ぎに病院へ行き、8時30分から採血です。私の場合、抗がん剤を左腕に点滴するため、血液検査は右腕から行いました。調べたところ、抗がん剤は血管へのダメージがあるため、抗がん剤を入れるところより心臓側の血管に孔(例えば、採血をした針の孔)があると、漏れてくるそうです。

 血液検査の結果が出るのに1時間ちょっとかかりました。結果が出ると、主治医の先生の問診があり、血液検査の結果を確認し、抗がん剤治療ができるかを確認します。特に造血に関係する白血球とか、赤血球とかの数値の確認します。当然のことながら、初回なので、抗がん剤の影響はなく、治療できるとの判定でした。

 4階の化学治療室で抗がん剤をします。入院しているとき、4階の病棟に入っていたので、体力回復のため、よくこの部屋の前を歩いていました。

 私の治療はXELOX療法と言って、オキサリプラチンという抗がん剤を初日に点滴し、その後は朝晩、ゼローダという錠剤の抗がん剤を2週間のみ、その後1週間休薬期間があり、1クールが終わるというものでした。これを8クール、半年間続けます。

 予想される副作用は以下の通りです。

〇ゼローダ

・手足症候群

 手や足がヒリヒリ・チクチクする、赤く腫れるなどのほか、皮膚のひび割れや水疱および皮膚に色素が沈着したり、爪の色が変化

・消火器症状

 下痢、便秘、腹痛、吐き気、嘔吐、食欲不振、口内炎などの消化器系の症状

・骨髄抑制

 白血球や赤血球、血小板が減る→感染がおこりやすい

・その他

 頭痛、疲労や脱力といった倦怠感

〇オキサリプラチン

・末梢神経障害

 寒冷刺激により手足、口のまわりのしびれやチクチクする痛み、舌の感覚がおかしい、あごやのどがしめつけられる、食べ物が飲み込みにくい

・血管痛

 点滴した場所が痛くなる


 点滴は、最初に30分程度、吐き気止めの薬を点滴し、そのあと、生理食塩水を点滴後、オキサリプラチンに切り替えます。2時間ほどすると、終わります。終わるときも、生理食塩水に切り替えて、十分にオキサリプラチンが漏れないようにしていました。オキサリプラチンは皮膚につくと皮膚障害を起こすとのこと。なので、途中でトイレに行くときは、一旦、生理食塩水に切り替えてから、トイレに行き、戻ってきたら、再び、オキサリプラチンに切り替えます。

 また、血管痛と言って、点滴中に血管が痛くなることがあり、その対策として点滴をしている腕を温めて頂きました。大体、10時30分~13時頃まで点滴をして、最後に血圧を測って、問題なければ、終了です。

 さて、初回の点滴を終えての感想ですが、ちょっと、血管痛はあったものの、それ以外は特に違和感はありませんでした。

 点滴をした日の晩からゼローダを1回5錠、朝晩飲み始めました。一気に5錠を水で流し込む形で飲んでいました。一緒に、末梢神経に効くかもということで出された薬も飲んでいました。あと、手足症候群対策として塗り薬が出されたので、朝、昼、晩に手と足に塗っていました。

 その後の経過ですが、水曜日(点滴の翌々日)の夜に軽い車酔いをした程度の気持ち悪さはありましたが、翌日には治っていました。吐き気に関するものはこれだけです。便秘は3日に1回ぐらい起こり、その次の日は下痢になり、その翌日は普通、というのを繰り返してました。血管痛は、1週間かけて徐々に消えていくといった感じでした。あと、のどの違和感がり、何か食べるときに1口目がのどが痛い感じがありましたが、2口目からは何ともありませんでした。このおかげで、間食をしなくなりました。こののどのしびれは10日ほど、続きました。

 大体、薬を飲んでいる間、特にオキサリプラチンの副作用が継続しているときは、ややつらいですが、特に生活に支障なく、過ごせていました。「こんなもんか」という感じでした。

 ただ、末梢神経障害は出るとひどくなる一方とのことで、夏もちかかったのですが、なるべく手袋をして過ごしました。

 これが1クール目の状態です。

2クール目以降については次回以降で書いていきます。

2025-08-23

昔作った歌や曲

  先日、実家がある場所に甥が家を建て替えるとの話があり、自分の荷物を実家に取りに行きました。

 荷物を整理していると、高校生のころ(40年ぐらい前)に書いた歌の歌詞とギターのコードが書いてあるノートが10曲分、出てきました。

 コードなので、メロディーは思い出せないのがほとんど(10曲中9曲)でしたが、1曲だけ、メロディーを覚えているものがありました。

 思い返せば、高校生になったときにフォークギターを入学祝で買ってもらい、高校性の時は部活もせず、ギターを弾いていました。そのうち、歌を書くようになり、おそらく、50曲くらいは書いたような気がします。

 メロディーを覚えていた曲は、中学から好きだった人に対する想いを、高校2年生で告白して振られたタイミングで書き綴ったものでした。だから、忘れずにいたのですが・・・。

 さて、歌を見つけたものの、歌が下手な私が歌ってもという想いと、でも、大事な思い出だから残したいという想いから、ボーカロイドを使ってみることにしました。試行錯誤しながら、何とか出来たので、記録として、ここに公開したいと思います。

・想い唄



 また、シンガポールに2年間、赴任していたころに作った歌がミニディスクに入っていたので、こちらも一緒に公開します。1曲はピアノのインストゥルメンタルです。他の2曲は当時知り合ったホテルのラウンジ(受付の隣にあるお酒を飲めるスペース)で歌っていた歌手の人に歌ってもらったものを録音したものです。さらに、そのうちの1曲(I_will_be_there)は歌詞も書いてくれました。

・Harmonia(ピアノ曲)



・I_will_be_there



・Under_starlight



なお、「Under_starlight」は、似た曲を聴いたような気がして、知らず知らずに似せて作った可能性があるので、もし、「この歌に似てるよ!!」というのがあれば、教えてください!!

 

大腸がんステージ3b治療記録 その5 自宅療養

 手術のための10日間の入院を経て、無事、退院し、その後、自宅療養となりました。

退院直前の主治医との話の中で、職場復帰に関しても話があり、主治医から「正直、明日からでも行けるでしょ!?」と言われたので、すぐに復帰できるのかと思いきや、診断書には「〇〇に手術し、□□から復職可能見込み」というような表現がされており、会社に提出したところ、「□□に復職可能」という診断書がないと復職は認められないとのことで、再度診断書をもらいに行きました。そんな手続きをしたりで、結局、2週間ほど自宅療養することになりました。

 自宅療養中は特にすることがなく、体力回復のために、30分程度散歩したりしてました。その他は普段は見ない(見れない?)昼間のテレビ番組を見たりとか。

 時間があり余ると、考える時間もたくさんあり、そんな時に考えることは、やらなかったことへの後悔です。私の場合、便潜血検査を5年もさぼっていたので、そのことへの後悔でした。よく、「人は死ぬときにやらなかったことを後悔する」と言われますが、まさに身をもって体験しました。

 あと、不眠症になってしまいました。眠りについた後、1度目が覚めると、もう、眠れません。睡眠時間が2時間であろうと、1時間であろうと。そんな日が自宅療養中、続いたと思います。きっと、後悔と将来への不安があったのだろうと今は思ってます。

 自宅療養中に、今後の治療(術後補助化学治療=抗がん剤治療)についての説明を受けに病院に行きました。ステージが3bだったので、基本的には対象です。ただし、この治療は成果が分からない治療でもあります。どういうことかというと、ステージ3bの再発率は40%程度で、治療を行うと、22%ぐらいに下がると説明されました。この数値はいろいろな情報があるので、正確には把握してませんが、説明ではそういわれました。もし治療を受けて、再発しなかったら、それは治療のおかげなのか、もともと再発しない60%だったのか、誰も判定できないのです。再発してしまえば、効果なかったとはわかりますが。もちろん、する、しないの選択権は患者にあるので、受けないという選択肢もありです。その時の心境は、「効果はわからないかもしれないが、しなくて再発したら、また後悔するだろうな」でした。治療はXELOX療法と言って、オキサリプラチンという白金系の抗がん剤を初日に点滴し、その後2週間ゼローダという飲み薬を朝、晩飲みます。2週間が経過したら、1週間休薬期間があるという3週間1サイクルの治療で、8サイクル(半年間)行います。

 手術後、1か月以内に始めるのがよいとのことで、手術後3週間たった月曜日から開始することになりました。ネットで調べると、点滴後、2日ぐらい不調になるかもという情報があったため、金曜日に点滴をしたいと主治医に伝えましたが、金曜日は治療を実施してないとのことと、主治医から「一旦、やってみて、副作用がきつければ、その時考えましょう!!」と言われたので、まずは、月曜日に点滴をすることにしました。

 そうこうしているうちに、自宅療養期間が終了し、職場復帰できました

職場復帰すると、業務に追われ、考える時間が減るため、不眠症が解消されました。

 職場復帰後の術後補助化学治療については、次回以降で書いていきます。

2025-08-03

大腸がんステージ3b治療記録 その4 入院(退院まで)

 地獄のような一夜を過ごし、朝が来て、自分の病室に戻ることになりました。

看護士さんから、「先生から、尿道カテーテル(尿道から膀胱に管を挿入し、尿を体外に排出)をとって、自分でトイレに行くように言われてますので・・・。」と言われ、尿道カテーテルを外されました。「この痛い中、自分でトイレへ行けとは、鬼だな」と思いつつも、仕方がないので、従いました。

病室に帰ったら、まずは自分で起き上がる練習です。柵に必死でつかまりながら、何とか起き上がりました。これで、何とかトイレに行けることが分かったので、ゆっくり、寝てればいいのですが、やはり、傷口は痛い。手術の夜は5分ぐらいしか、しかも転寝程度しか眠れなかったので、さすがに夜は眠れるだろうと思っていましたが、甘かったです。手術翌日、その次の日の夜もほとんど眠れませんでした。また、このころになると手の甲に入れている点滴の針のあたりが痛くなってきていて、少しでも早く、点滴生活を脱出したいと思うようになっていました。トイレとかに行くとたまに血が逆流することもあり、地味にストレスでした。

手術の2日後の昼食から全粥が出て、食事ができるようになり、無事、点滴を外すことができました。手術前に肺活量を戻すための息を吹き込んだり、吸ったりする道具(おもちゃのようなもの)を渡されており、それを3回/日程度やってました。手術の翌日は、手術前の半分くらいしか肺活量がなく、手術によるダメージを実感しました。

手術2日後ぐらいから、術後の合併症の1つである内臓の癒着を防ぐため、結構、病棟内を歩いていました。とはいっても、50mぐらいを1日3回くらいですが。

術後3日目にリハビリの先生が来て、リハビリ室の案内と、その2日後から室内自転車に乗ることを勧められました。自転車には術後、4日、5日の2日間、乗りに行きました。

術後、6日目に、主治医(執刀医)の先生の診察があり、病状の説明、病理検査の結果、今後の予定を聞きました。

まず、病状は幅2cmで、周方向に75%ぐらいの腫瘍でした。病理検査では、一緒に削除した20個のリンパ節のうち、2個に転移していたことが分かり、ステージ3bとのことでした。今後の予定としては、術後化学療法、いわゆる抗がん剤治療をすることを勧められました。そのとき、医者から、「このステージの5年生存率は60%です。高いっちゃー、高い。低いっちゃー、低い。」と言われ、結局は「自分で決めろって、ことだな!」と受け取りました。また、職場復帰について聞いたところ、「正直、明日からでも行けるでしょ!?」と言われ、「傷口が痛くないわけではありませんが、デスクワークならできますね。」と回答したものの、10日ぐらい自宅療養することになりました。

予定通り手術前2日、手術日、手術後7日の計10日の入院を終え、無事退院出来ました。

自宅療養については、次回で書いていきます。


2025-07-20

大腸がんステージ3b治療記録 その3 入院(手術)

 さて、いよいよ手術の日が来ました。

何かあったときのために、妻に病院に来てもらい、手術が終わるまで、病室で待機してもらうことになりました。これは、基本的に病院でのルールでもあるようです。

事前に言われていた手術時間は、8時間程度だったので、改めて、妻は暇だったろうなと思います。 そして、感謝です。

手術室へは8時15分ごろ向かいました。よくドラマでは、ベッドに寝て運ばれていく みたいなシーンがありますが、実際は歩いて向かいました。点滴を継続したままなので、その移動用の器具を押しながら。

手術室はなんか殺風景というか無機質というか、そんな印象です。手術台に寝て、麻酔科の先生から、「今から麻酔をかけていきますね。麻酔が聞いたかどうか名前を呼びますね。」と言われ、「〇〇さん」と呼ばれたので、麻酔が始まったのかと思いきや、次に「手術は終わりましたよ。」と言われました。麻酔導入の名前を呼ばれたことは一切覚えていません。

手術は「腹腔鏡下結腸右半切除術」というもので、おなかに4つの穴をあけるのと、へそ付近を5cmぐらい切って、そこから切り取った大腸を取り出す手術です。切り取る部分は、大腸の右側の部分を切る(大腸の半分ぐらい)というものです。切り取った後、残った大腸と小腸を接合するというものですが、大腸と小腸がくっつくのはなんか、不思議だな~と今での思います。

無事、手術は終わりましたが、その晩は集中治療室に泊まります。夜の8時までは1時間に1回、自動で、8時以降は2時間に1回自動で血圧が測られます。血圧を測られると、「やっと2時間経った」と思って、血圧を測るのが待ち遠しかったことを今でも思い出します。

痛いときはボタンを押すと自動で痛み止めが点滴されるようになっていました。1回、どれぐらい効くのかなと思って、押してみましたが、少しだけ痛みが和らぐだけだったので、1度しか使いませんでした。

その夜は痛みのせいで5~10分程度、転寝をしたぐらいで、ずっと眠れなかったと記憶しています。ただ、穴もあけてなく、切ったところでもない場所が痛かったように記憶しています。看護士さん曰く、「手術中はいろんな姿勢をさせられているので、そういうことが起こるかも」とのことでした。

予定通り、翌日(手術の次の日)の朝、病室に戻ることになりました。

病室に戻ってからのことは次回以降で書いていきます。