2025-07-20

大腸がんステージ3b治療記録 その3 入院(手術)

 さて、いよいよ手術の日が来ました。

何かあったときのために、妻に病院に来てもらい、手術が終わるまで、病室で待機してもらうことになりました。これは、基本的に病院でのルールでもあるようです。

事前に言われていた手術時間は、8時間程度だったので、改めて、妻は暇だったろうなと思います。 そして、感謝です。

手術室へは8時15分ごろ向かいました。よくドラマでは、ベッドに寝て運ばれていく みたいなシーンがありますが、実際は歩いて向かいました。点滴を継続したままなので、その移動用の器具を押しながら。

手術室はなんか殺風景というか無機質というか、そんな印象です。手術台に寝て、麻酔科の先生から、「今から麻酔をかけていきますね。麻酔が聞いたかどうか名前を呼びますね。」と言われ、「〇〇さん」と呼ばれたので、麻酔が始まったのかと思いきや、次に「手術は終わりましたよ。」と言われました。麻酔導入の名前を呼ばれたことは一切覚えていません。

手術は「腹腔鏡下結腸右半切除術」というもので、おなかに4つの穴をあけるのと、へそ付近を5cmぐらい切って、そこから切り取った大腸を取り出す手術です。切り取る部分は、大腸の右側の部分を切る(大腸の半分ぐらい)というものです。切り取った後、残った大腸と小腸を接合するというものですが、大腸と小腸がくっつくのはなんか、不思議だな~と今での思います。

無事、手術は終わりましたが、その晩は集中治療室に泊まります。夜の8時までは1時間に1回、自動で、8時以降は2時間に1回自動で血圧が測られます。血圧を測られると、「やっと2時間経った」と思って、血圧を測るのが待ち遠しかったことを今でも思い出します。

痛いときはボタンを押すと自動で痛み止めが点滴されるようになっていました。1回、どれぐらい効くのかなと思って、押してみましたが、少しだけ痛みが和らぐだけだったので、1度しか使いませんでした。

その夜は痛みのせいで5~10分程度、転寝をしたぐらいで、ずっと眠れなかったと記憶しています。ただ、穴もあけてなく、切ったところでもない場所が痛かったように記憶しています。看護士さん曰く、「手術中はいろんな姿勢をさせられているので、そういうことが起こるかも」とのことでした。

予定通り、翌日(手術の次の日)の朝、病室に戻ることになりました。

病室に戻ってからのことは次回以降で書いていきます。


2025-07-08

大腸がんステージ3b治療記録 その2 入院(手術まで)

  大腸がんと診断され、その日のうちに外科の先生を紹介されました。

 外科の先生は軽く「切ろ!切ろ!」と言われました。内視鏡の写真から、切らないと腸閉塞を起こすと自分でもわかったので、「切る」一択だなと思っていると、隣で妻が「切らないとどうなりますか?」と先生に質問していました。「え~、切るしかないでしょ!!」と思いながら、先生の回答を聞いていました。先生の回答はやはり、「切らないといずれ腸閉塞を起こします。」というものでした。それで、手術することになりました。

 入院には、連帯保証人が必要で、兄にお願いしました。両親は健在ですが、心配をかけたくないのと、そもそも、もう働いていないので保証人にはなれませんでした。

 ちょうど、コロナがはやり始めた時期で、先生から「不要不急の手術はしないことになっているが、この状態は不要でも、不急でもない。」と告げられ、すぐに手術をすることになりました。でも、「不要の手術」は、コロナでなくてもしないでいただきたいと思ったのを覚えています。5月20日の手術が決まりました。手術は腹腔鏡手術です。

 5月18日に入院しました。入院までの間は、会社に診断書を提出し休む手続きをしたり、健康保険組合に高額療養費制度の申し込みをしたりで、ドタバタしていました。

 入院初日は、看護師の方から病院の説明を受けました。コロナの影響で、4人部屋でしたが、入った部屋は私ともう一人の方の2人部屋状態でした。

 手術前日は看護師の方から手術の説明や、麻酔科の先性の点滴針の装着がありました。最初は研修医の先生が針を入れようとされましたが、上手くいかず、結局、指導医の先生が針を入れました。手の甲に入れました。

 それと、腸の中を空にするため、大腸内視鏡の時と同じく、2リッターの下剤を飲みました。この下剤を飲むのはあまり苦痛ではなく、問題なく腸内を空にできました。

 あとは、手術をするあたりの剃毛と、へその穴付近から切り取った大腸を取り出すため、へその穴の掃除を看護師の方にしていただきました。

 さて、次の日は手術です。とはいえ、「緊張で眠れず」ということもなく、普通に寝れたと思います。

 手術以降については次回以降で書いていきます。