2025-08-23

昔作った歌や曲

  先日、実家がある場所に甥が家を建て替えるとの話があり、自分の荷物を実家に取りに行きました。

 荷物を整理していると、高校生のころ(40年ぐらい前)に書いた歌の歌詞とギターのコードが書いてあるノートが10曲分、出てきました。

 コードなので、メロディーは思い出せないのがほとんど(10曲中9曲)でしたが、1曲だけ、メロディーを覚えているものがありました。

 思い返せば、高校生になったときにフォークギターを入学祝で買ってもらい、高校性の時は部活もせず、ギターを弾いていました。そのうち、歌を書くようになり、おそらく、50曲くらいは書いたような気がします。

 メロディーを覚えていた曲は、中学から好きだった人に対する想いを、高校2年生で告白して振られたタイミングで書き綴ったものでした。だから、忘れずにいたのですが・・・。

 さて、歌を見つけたものの、歌が下手な私が歌ってもという想いと、でも、大事な思い出だから残したいという想いから、ボーカロイドを使ってみることにしました。試行錯誤しながら、何とか出来たので、記録として、ここに公開したいと思います。

・想い唄



 また、シンガポールに2年間、赴任していたころに作った歌がミニディスクに入っていたので、こちらも一緒に公開します。1曲はピアノのインストゥルメンタルです。他の2曲は当時知り合ったホテルのラウンジ(受付の隣にあるお酒を飲めるスペース)で歌っていた歌手の人に歌ってもらったものを録音したものです。さらに、そのうちの1曲(I_will_be_there)は歌詞も書いてくれました。

・Harmonia(ピアノ曲)



・I_will_be_there



・Under_starlight



なお、「Under_starlight」は、似た曲を聴いたような気がして、知らず知らずに似せて作った可能性があるので、もし、「この歌に似てるよ!!」というのがあれば、教えてください!!

 

大腸がんステージ3b治療記録 その5 自宅療養

 手術のための10日間の入院を経て、無事、退院し、その後、自宅療養となりました。

退院直前の主治医との話の中で、職場復帰に関しても話があり、主治医から「正直、明日からでも行けるでしょ!?」と言われたので、すぐに復帰できるのかと思いきや、診断書には「〇〇に手術し、□□から復職可能見込み」というような表現がされており、会社に提出したところ、「□□に復職可能」という診断書がないと復職は認められないとのことで、再度診断書をもらいに行きました。そんな手続きをしたりで、結局、2週間ほど自宅療養することになりました。

 自宅療養中は特にすることがなく、体力回復のために、30分程度散歩したりしてました。その他は普段は見ない(見れない?)昼間のテレビ番組を見たりとか。

 時間があり余ると、考える時間もたくさんあり、そんな時に考えることは、やらなかったことへの後悔です。私の場合、便潜血検査を5年もさぼっていたので、そのことへの後悔でした。よく、「人は死ぬときにやらなかったことを後悔する」と言われますが、まさに身をもって体験しました。

 あと、不眠症になってしまいました。眠りについた後、1度目が覚めると、もう、眠れません。睡眠時間が2時間であろうと、1時間であろうと。そんな日が自宅療養中、続いたと思います。きっと、後悔と将来への不安があったのだろうと今は思ってます。

 自宅療養中に、今後の治療(術後補助化学治療=抗がん剤治療)についての説明を受けに病院に行きました。ステージが3bだったので、基本的には対象です。ただし、この治療は成果が分からない治療でもあります。どういうことかというと、ステージ3bの再発率は40%程度で、治療を行うと、22%ぐらいに下がると説明されました。この数値はいろいろな情報があるので、正確には把握してませんが、説明ではそういわれました。もし治療を受けて、再発しなかったら、それは治療のおかげなのか、もともと再発しない60%だったのか、誰も判定できないのです。再発してしまえば、効果なかったとはわかりますが。もちろん、する、しないの選択権は患者にあるので、受けないという選択肢もありです。その時の心境は、「効果はわからないかもしれないが、しなくて再発したら、また後悔するだろうな」でした。治療はXELOX療法と言って、オキサリプラチンという白金系の抗がん剤を初日に点滴し、その後2週間ゼローダという飲み薬を朝、晩飲みます。2週間が経過したら、1週間休薬期間があるという3週間1サイクルの治療で、8サイクル(半年間)行います。

 手術後、1か月以内に始めるのがよいとのことで、手術後3週間たった月曜日から開始することになりました。ネットで調べると、点滴後、2日ぐらい不調になるかもという情報があったため、金曜日に点滴をしたいと主治医に伝えましたが、金曜日は治療を実施してないとのことと、主治医から「一旦、やってみて、副作用がきつければ、その時考えましょう!!」と言われたので、まずは、月曜日に点滴をすることにしました。

 そうこうしているうちに、自宅療養期間が終了し、職場復帰できました

職場復帰すると、業務に追われ、考える時間が減るため、不眠症が解消されました。

 職場復帰後の術後補助化学治療については、次回以降で書いていきます。

2025-08-03

大腸がんステージ3b治療記録 その4 入院(退院まで)

 地獄のような一夜を過ごし、朝が来て、自分の病室に戻ることになりました。

看護士さんから、「先生から、尿道カテーテル(尿道から膀胱に管を挿入し、尿を体外に排出)をとって、自分でトイレに行くように言われてますので・・・。」と言われ、尿道カテーテルを外されました。「この痛い中、自分でトイレへ行けとは、鬼だな」と思いつつも、仕方がないので、従いました。

病室に帰ったら、まずは自分で起き上がる練習です。柵に必死でつかまりながら、何とか起き上がりました。これで、何とかトイレに行けることが分かったので、ゆっくり、寝てればいいのですが、やはり、傷口は痛い。手術の夜は5分ぐらいしか、しかも転寝程度しか眠れなかったので、さすがに夜は眠れるだろうと思っていましたが、甘かったです。手術翌日、その次の日の夜もほとんど眠れませんでした。また、このころになると手の甲に入れている点滴の針のあたりが痛くなってきていて、少しでも早く、点滴生活を脱出したいと思うようになっていました。トイレとかに行くとたまに血が逆流することもあり、地味にストレスでした。

手術の2日後の昼食から全粥が出て、食事ができるようになり、無事、点滴を外すことができました。手術前に肺活量を戻すための息を吹き込んだり、吸ったりする道具(おもちゃのようなもの)を渡されており、それを3回/日程度やってました。手術の翌日は、手術前の半分くらいしか肺活量がなく、手術によるダメージを実感しました。

手術2日後ぐらいから、術後の合併症の1つである内臓の癒着を防ぐため、結構、病棟内を歩いていました。とはいっても、50mぐらいを1日3回くらいですが。

術後3日目にリハビリの先生が来て、リハビリ室の案内と、その2日後から室内自転車に乗ることを勧められました。自転車には術後、4日、5日の2日間、乗りに行きました。

術後、6日目に、主治医(執刀医)の先生の診察があり、病状の説明、病理検査の結果、今後の予定を聞きました。

まず、病状は幅2cmで、周方向に75%ぐらいの腫瘍でした。病理検査では、一緒に削除した20個のリンパ節のうち、2個に転移していたことが分かり、ステージ3bとのことでした。今後の予定としては、術後化学療法、いわゆる抗がん剤治療をすることを勧められました。そのとき、医者から、「このステージの5年生存率は60%です。高いっちゃー、高い。低いっちゃー、低い。」と言われ、結局は「自分で決めろって、ことだな!」と受け取りました。また、職場復帰について聞いたところ、「正直、明日からでも行けるでしょ!?」と言われ、「傷口が痛くないわけではありませんが、デスクワークならできますね。」と回答したものの、10日ぐらい自宅療養することになりました。

予定通り手術前2日、手術日、手術後7日の計10日の入院を終え、無事退院出来ました。

自宅療養については、次回で書いていきます。