2025-08-03

大腸がんステージ3b治療記録 その4 入院(退院まで)

 地獄のような一夜を過ごし、朝が来て、自分の病室に戻ることになりました。

看護士さんから、「先生から、尿道カテーテル(尿道から膀胱に管を挿入し、尿を体外に排出)をとって、自分でトイレに行くように言われてますので・・・。」と言われ、尿道カテーテルを外されました。「この痛い中、自分でトイレへ行けとは、鬼だな」と思いつつも、仕方がないので、従いました。

病室に帰ったら、まずは自分で起き上がる練習です。柵に必死でつかまりながら、何とか起き上がりました。これで、何とかトイレに行けることが分かったので、ゆっくり、寝てればいいのですが、やはり、傷口は痛い。手術の夜は5分ぐらいしか、しかも転寝程度しか眠れなかったので、さすがに夜は眠れるだろうと思っていましたが、甘かったです。手術翌日、その次の日の夜もほとんど眠れませんでした。また、このころになると手の甲に入れている点滴の針のあたりが痛くなってきていて、少しでも早く、点滴生活を脱出したいと思うようになっていました。トイレとかに行くとたまに血が逆流することもあり、地味にストレスでした。

手術の2日後の昼食から全粥が出て、食事ができるようになり、無事、点滴を外すことができました。手術前に肺活量を戻すための息を吹き込んだり、吸ったりする道具(おもちゃのようなもの)を渡されており、それを3回/日程度やってました。手術の翌日は、手術前の半分くらいしか肺活量がなく、手術によるダメージを実感しました。

手術2日後ぐらいから、術後の合併症の1つである内臓の癒着を防ぐため、結構、病棟内を歩いていました。とはいっても、50mぐらいを1日3回くらいですが。

術後3日目にリハビリの先生が来て、リハビリ室の案内と、その2日後から室内自転車に乗ることを勧められました。自転車には術後、4日、5日の2日間、乗りに行きました。

術後、6日目に、主治医(執刀医)の先生の診察があり、病状の説明、病理検査の結果、今後の予定を聞きました。

まず、病状は幅2cmで、周方向に75%ぐらいの腫瘍でした。病理検査では、一緒に削除した20個のリンパ節のうち、2個に転移していたことが分かり、ステージ3bとのことでした。今後の予定としては、術後化学療法、いわゆる抗がん剤治療をすることを勧められました。そのとき、医者から、「このステージの5年生存率は60%です。高いっちゃー、高い。低いっちゃー、低い。」と言われ、結局は「自分で決めろって、ことだな!」と受け取りました。また、職場復帰について聞いたところ、「正直、明日からでも行けるでしょ!?」と言われ、「傷口が痛くないわけではありませんが、デスクワークならできますね。」と回答したものの、10日ぐらい自宅療養することになりました。

予定通り手術前2日、手術日、手術後7日の計10日の入院を終え、無事退院出来ました。

自宅療養については、次回で書いていきます。


2025-07-20

大腸がんステージ3b治療記録 その3 入院(手術)

 さて、いよいよ手術の日が来ました。

何かあったときのために、妻に病院に来てもらい、手術が終わるまで、病室で待機してもらうことになりました。これは、基本的に病院でのルールでもあるようです。

事前に言われていた手術時間は、8時間程度だったので、改めて、妻は暇だったろうなと思います。 そして、感謝です。

手術室へは8時15分ごろ向かいました。よくドラマでは、ベッドに寝て運ばれていく みたいなシーンがありますが、実際は歩いて向かいました。点滴を継続したままなので、その移動用の器具を押しながら。

手術室はなんか殺風景というか無機質というか、そんな印象です。手術台に寝て、麻酔科の先生から、「今から麻酔をかけていきますね。麻酔が聞いたかどうか名前を呼びますね。」と言われ、「〇〇さん」と呼ばれたので、麻酔が始まったのかと思いきや、次に「手術は終わりましたよ。」と言われました。麻酔導入の名前を呼ばれたことは一切覚えていません。

手術は「腹腔鏡下結腸右半切除術」というもので、おなかに4つの穴をあけるのと、へそ付近を5cmぐらい切って、そこから切り取った大腸を取り出す手術です。切り取る部分は、大腸の右側の部分を切る(大腸の半分ぐらい)というものです。切り取った後、残った大腸と小腸を接合するというものですが、大腸と小腸がくっつくのはなんか、不思議だな~と今での思います。

無事、手術は終わりましたが、その晩は集中治療室に泊まります。夜の8時までは1時間に1回、自動で、8時以降は2時間に1回自動で血圧が測られます。血圧を測られると、「やっと2時間経った」と思って、血圧を測るのが待ち遠しかったことを今でも思い出します。

痛いときはボタンを押すと自動で痛み止めが点滴されるようになっていました。1回、どれぐらい効くのかなと思って、押してみましたが、少しだけ痛みが和らぐだけだったので、1度しか使いませんでした。

その夜は痛みのせいで5~10分程度、転寝をしたぐらいで、ずっと眠れなかったと記憶しています。ただ、穴もあけてなく、切ったところでもない場所が痛かったように記憶しています。看護士さん曰く、「手術中はいろんな姿勢をさせられているので、そういうことが起こるかも」とのことでした。

予定通り、翌日(手術の次の日)の朝、病室に戻ることになりました。

病室に戻ってからのことは次回以降で書いていきます。


2025-07-08

大腸がんステージ3b治療記録 その2 入院(手術まで)

  大腸がんと診断され、その日のうちに外科の先生を紹介されました。

 外科の先生は軽く「切ろ!切ろ!」と言われました。内視鏡の写真から、切らないと腸閉塞を起こすと自分でもわかったので、「切る」一択だなと思っていると、隣で妻が「切らないとどうなりますか?」と先生に質問していました。「え~、切るしかないでしょ!!」と思いながら、先生の回答を聞いていました。先生の回答はやはり、「切らないといずれ腸閉塞を起こします。」というものでした。それで、手術することになりました。

 入院には、連帯保証人が必要で、兄にお願いしました。両親は健在ですが、心配をかけたくないのと、そもそも、もう働いていないので保証人にはなれませんでした。

 ちょうど、コロナがはやり始めた時期で、先生から「不要不急の手術はしないことになっているが、この状態は不要でも、不急でもない。」と告げられ、すぐに手術をすることになりました。でも、「不要の手術」は、コロナでなくてもしないでいただきたいと思ったのを覚えています。5月20日の手術が決まりました。手術は腹腔鏡手術です。

 5月18日に入院しました。入院までの間は、会社に診断書を提出し休む手続きをしたり、健康保険組合に高額療養費制度の申し込みをしたりで、ドタバタしていました。

 入院初日は、看護師の方から病院の説明を受けました。コロナの影響で、4人部屋でしたが、入った部屋は私ともう一人の方の2人部屋状態でした。

 手術前日は看護師の方から手術の説明や、麻酔科の先性の点滴針の装着がありました。最初は研修医の先生が針を入れようとされましたが、上手くいかず、結局、指導医の先生が針を入れました。手の甲に入れました。

 それと、腸の中を空にするため、大腸内視鏡の時と同じく、2リッターの下剤を飲みました。この下剤を飲むのはあまり苦痛ではなく、問題なく腸内を空にできました。

 あとは、手術をするあたりの剃毛と、へその穴付近から切り取った大腸を取り出すため、へその穴の掃除を看護師の方にしていただきました。

 さて、次の日は手術です。とはいえ、「緊張で眠れず」ということもなく、普通に寝れたと思います。

 手術以降については次回以降で書いていきます。

 


2025-06-29

大腸がんステージ3b治療記録 その1 病気発覚までの経緯

  2025年6月26日に大腸がんの手術後、5年経過し、寛解となりました。

 今回の病気に関する記録を残しておこうと思い、今日からしばらく、書いていきたいと思います。

 今回は、病気が発覚するまでの経緯について書いていきます。

2018年3月に会社の健康診断で、肺に影があるとのことで、精密検査を受けました。

健康診断を実施している病院の精密検査を専門にする科があり、そこを受診しました。

CT検査を行い、怪しい箇所が1か所あるとのことで、内科の呼吸器担当の先生に紹介され診ていただくことになりました。

こちらでは、まず、1か月後、3か月後、半年後、1年後にCT検査を行い、影が大きくなるかどうかを見ていくことになりました。

※肺の怪しい影については、増大することなく、以前の風邪等による跡との診断になりました。

 2019年2月に献血を受けに行ったところ、比重が足りずに献血してもらえませんでした。過去に何度も献血してる中、初めてでした。3月に会社の健康診断で、ヘモグロビンの値が12.8と下限基準の13.7を下回っていました。ただ、健康診断での判定は「経過観察」だったので、あまり気にすることなく、過ごしていました。

 ところが、10月ごろ、坂を歩いて上がるときに以前より息切れがするのを感じ、3月の検診結果でヘモグロビンが低かったことを思い出し、ディアナチュラ 鉄・葉酸というサプリメントを飲み始めました。

 年末に実家に帰ったときに、母親から、顔の色が悪いとの指摘されましたが、この言葉にもあまり気を留めずにいました。

 そうこうしているうちに、肺のほうの最後のCT検査があり、その結果を聞きに行きました。その時、先生に「前回の健康診断でヘモグロビンの値が低かった」と相談したところ、「値が低いこと自身は問題ないが、前が高く(正常値)で下がったのであれば、心配だから病院で診てもらったほうがいい。」と言われ、心の中で、「ここ、病院なんだけどなぁ~」と思いつつ、「3月に会社の健康診断があるからその結果を見てからでいいか。」と思って、その時は何もしませんでした。

 3月になり健康診断の結果、ヘモグロビン値が9.5まで下がっており、さすがに心配になり、ネットで原因を調べました。判定も「要精密検査」だったので、健康診断をしてもらった病院に精密医検査の予約の電話をしたところ、受付のかたから「貧血はかかりつけ医に診てもらうことになっている。」と軽く断られました。しかし、ネットで調べた結果、原因は結構重篤な病気が並んでいたので、「何とか診てください。」と粘り、精密検査を受けることになりました。

 精密検査に行くと、医者からすぐに「胃の検査と大腸の検査をする」と告げられました。

胃の検査は「胃内視鏡カメラ」一択、大腸は「大腸内視鏡カメラ」か「大腸CT」の選択があるとのこと。カメラは入れたくないので、「大腸CT」を選びました。

 胃カメラも初めてで、鎮静剤を使いました。以下のような日程で検査が進みました。

4月17日 大腸CT

4月20日 胃カメラ

4月27日 結果説明&精密検査(転移の有無を調べるためのCT検査と手術に備えての心機能検査)

5月1日 大腸カメラ

5月7日 結果説明

 胃カメラの結果は、「ピロリ菌」が住んでいることが発覚。でも、貧血の原因ではないとのこと。

 大腸CTの結果は、大腸を膨らませても膨らまない部分があり、「ここが怪しいが、判定するには大腸カメラを入れるしかない。」といわれ、結局、大腸カメラを入れることに。「こんなことなら最初から大腸カメラを入れておけばよかった。」と反省しつつ、内科を紹介され、内科で大腸カメラを入れる日を決めてその日は帰りました。

 検査の結果、大腸(右側の上行結腸部)に腫瘍があり、病理検査の結果、最も悪性度が高いがんと判明しました。また、「リンパ節も2か所腫れていて、リンパ節転移が疑われる」という結果でした。外科を紹介され、その日のうちに手術に向けて入院等の手続きを行いました。

 これが病気発覚までの経緯です。貧血以外には目立った症状は出ていませんでしたが、今から考えると常に便が黒ずんでいたと思います。

 なお、2012年までは健康診断に組み込まれていた便潜血検査が、2013年以降は申し込みをする形式に代わり、ついつい申し込みを忘れ、受けていませんでした。

 私の発症した部位の場合、便潜血検査で発見できていたかは不明ですが、それでも受けていなかったことを無茶苦茶後悔しました。

 次回は、入院~手術~退院について書いていこうと思います。