2025-09-08

大腸がんステージ3b治療記録 その6 術後補助化学治療1クール目

  仕事に復帰して1週間が経った月曜日、1回目の抗がん剤治療の日が来ました。未知の体験に、不安になりつつ、まずは血液検査です。私が通っていた病院では、抗がん剤治療をする人は、その結果の後、抗がん剤治療を行うため、優先的に血液検査をしてもらえました。

 8時過ぎに病院へ行き、8時30分から採血です。私の場合、抗がん剤を左腕に点滴するため、血液検査は右腕から行いました。調べたところ、抗がん剤は血管へのダメージがあるため、抗がん剤を入れるところより心臓側の血管に孔(例えば、採血をした針の孔)があると、漏れてくるそうです。

 血液検査の結果が出るのに1時間ちょっとかかりました。結果が出ると、主治医の先生の問診があり、血液検査の結果を確認し、抗がん剤治療ができるかを確認します。特に造血に関係する白血球とか、赤血球とかの数値の確認します。当然のことながら、初回なので、抗がん剤の影響はなく、治療できるとの判定でした。

 4階の化学治療室で抗がん剤をします。入院しているとき、4階の病棟に入っていたので、体力回復のため、よくこの部屋の前を歩いていました。

 私の治療はXELOX療法と言って、オキサリプラチンという抗がん剤を初日に点滴し、その後は朝晩、ゼローダという錠剤の抗がん剤を2週間のみ、その後1週間休薬期間があり、1クールが終わるというものでした。これを8クール、半年間続けます。

 予想される副作用は以下の通りです。

〇ゼローダ

・手足症候群

 手や足がヒリヒリ・チクチクする、赤く腫れるなどのほか、皮膚のひび割れや水疱および皮膚に色素が沈着したり、爪の色が変化

・消火器症状

 下痢、便秘、腹痛、吐き気、嘔吐、食欲不振、口内炎などの消化器系の症状

・骨髄抑制

 白血球や赤血球、血小板が減る→感染がおこりやすい

・その他

 頭痛、疲労や脱力といった倦怠感

〇オキサリプラチン

・末梢神経障害

 寒冷刺激により手足、口のまわりのしびれやチクチクする痛み、舌の感覚がおかしい、あごやのどがしめつけられる、食べ物が飲み込みにくい

・血管痛

 点滴した場所が痛くなる


 点滴は、最初に30分程度、吐き気止めの薬を点滴し、そのあと、生理食塩水を点滴後、オキサリプラチンに切り替えます。2時間ほどすると、終わります。終わるときも、生理食塩水に切り替えて、十分にオキサリプラチンが漏れないようにしていました。オキサリプラチンは皮膚につくと皮膚障害を起こすとのこと。なので、途中でトイレに行くときは、一旦、生理食塩水に切り替えてから、トイレに行き、戻ってきたら、再び、オキサリプラチンに切り替えます。

 また、血管痛と言って、点滴中に血管が痛くなることがあり、その対策として点滴をしている腕を温めて頂きました。大体、10時30分~13時頃まで点滴をして、最後に血圧を測って、問題なければ、終了です。

 さて、初回の点滴を終えての感想ですが、ちょっと、血管痛はあったものの、それ以外は特に違和感はありませんでした。

 点滴をした日の晩からゼローダを1回5錠、朝晩飲み始めました。一気に5錠を水で流し込む形で飲んでいました。一緒に、末梢神経に効くかもということで出された薬も飲んでいました。あと、手足症候群対策として塗り薬が出されたので、朝、昼、晩に手と足に塗っていました。

 その後の経過ですが、水曜日(点滴の翌々日)の夜に軽い車酔いをした程度の気持ち悪さはありましたが、翌日には治っていました。吐き気に関するものはこれだけです。便秘は3日に1回ぐらい起こり、その次の日は下痢になり、その翌日は普通、というのを繰り返してました。血管痛は、1週間かけて徐々に消えていくといった感じでした。あと、のどの違和感がり、何か食べるときに1口目がのどが痛い感じがありましたが、2口目からは何ともありませんでした。このおかげで、間食をしなくなりました。こののどのしびれは10日ほど、続きました。

 大体、薬を飲んでいる間、特にオキサリプラチンの副作用が継続しているときは、ややつらいですが、特に生活に支障なく、過ごせていました。「こんなもんか」という感じでした。

 ただ、末梢神経障害は出るとひどくなる一方とのことで、夏もちかかったのですが、なるべく手袋をして過ごしました。

 これが1クール目の状態です。

2クール目以降については次回以降で書いていきます。

2025-08-23

昔作った歌や曲

  先日、実家がある場所に甥が家を建て替えるとの話があり、自分の荷物を実家に取りに行きました。

 荷物を整理していると、高校生のころ(40年ぐらい前)に書いた歌の歌詞とギターのコードが書いてあるノートが10曲分、出てきました。

 コードなので、メロディーは思い出せないのがほとんど(10曲中9曲)でしたが、1曲だけ、メロディーを覚えているものがありました。

 思い返せば、高校生になったときにフォークギターを入学祝で買ってもらい、高校性の時は部活もせず、ギターを弾いていました。そのうち、歌を書くようになり、おそらく、50曲くらいは書いたような気がします。

 メロディーを覚えていた曲は、中学から好きだった人に対する想いを、高校2年生で告白して振られたタイミングで書き綴ったものでした。だから、忘れずにいたのですが・・・。

 さて、歌を見つけたものの、歌が下手な私が歌ってもという想いと、でも、大事な思い出だから残したいという想いから、ボーカロイドを使ってみることにしました。試行錯誤しながら、何とか出来たので、記録として、ここに公開したいと思います。

・想い唄



 また、シンガポールに2年間、赴任していたころに作った歌がミニディスクに入っていたので、こちらも一緒に公開します。1曲はピアノのインストゥルメンタルです。他の2曲は当時知り合ったホテルのラウンジ(受付の隣にあるお酒を飲めるスペース)で歌っていた歌手の人に歌ってもらったものを録音したものです。さらに、そのうちの1曲(I_will_be_there)は歌詞も書いてくれました。

・Harmonia(ピアノ曲)



・I_will_be_there



・Under_starlight



なお、「Under_starlight」は、似た曲を聴いたような気がして、知らず知らずに似せて作った可能性があるので、もし、「この歌に似てるよ!!」というのがあれば、教えてください!!

 

大腸がんステージ3b治療記録 その5 自宅療養

 手術のための10日間の入院を経て、無事、退院し、その後、自宅療養となりました。

退院直前の主治医との話の中で、職場復帰に関しても話があり、主治医から「正直、明日からでも行けるでしょ!?」と言われたので、すぐに復帰できるのかと思いきや、診断書には「〇〇に手術し、□□から復職可能見込み」というような表現がされており、会社に提出したところ、「□□に復職可能」という診断書がないと復職は認められないとのことで、再度診断書をもらいに行きました。そんな手続きをしたりで、結局、2週間ほど自宅療養することになりました。

 自宅療養中は特にすることがなく、体力回復のために、30分程度散歩したりしてました。その他は普段は見ない(見れない?)昼間のテレビ番組を見たりとか。

 時間があり余ると、考える時間もたくさんあり、そんな時に考えることは、やらなかったことへの後悔です。私の場合、便潜血検査を5年もさぼっていたので、そのことへの後悔でした。よく、「人は死ぬときにやらなかったことを後悔する」と言われますが、まさに身をもって体験しました。

 あと、不眠症になってしまいました。眠りについた後、1度目が覚めると、もう、眠れません。睡眠時間が2時間であろうと、1時間であろうと。そんな日が自宅療養中、続いたと思います。きっと、後悔と将来への不安があったのだろうと今は思ってます。

 自宅療養中に、今後の治療(術後補助化学治療=抗がん剤治療)についての説明を受けに病院に行きました。ステージが3bだったので、基本的には対象です。ただし、この治療は成果が分からない治療でもあります。どういうことかというと、ステージ3bの再発率は40%程度で、治療を行うと、22%ぐらいに下がると説明されました。この数値はいろいろな情報があるので、正確には把握してませんが、説明ではそういわれました。もし治療を受けて、再発しなかったら、それは治療のおかげなのか、もともと再発しない60%だったのか、誰も判定できないのです。再発してしまえば、効果なかったとはわかりますが。もちろん、する、しないの選択権は患者にあるので、受けないという選択肢もありです。その時の心境は、「効果はわからないかもしれないが、しなくて再発したら、また後悔するだろうな」でした。治療はXELOX療法と言って、オキサリプラチンという白金系の抗がん剤を初日に点滴し、その後2週間ゼローダという飲み薬を朝、晩飲みます。2週間が経過したら、1週間休薬期間があるという3週間1サイクルの治療で、8サイクル(半年間)行います。

 手術後、1か月以内に始めるのがよいとのことで、手術後3週間たった月曜日から開始することになりました。ネットで調べると、点滴後、2日ぐらい不調になるかもという情報があったため、金曜日に点滴をしたいと主治医に伝えましたが、金曜日は治療を実施してないとのことと、主治医から「一旦、やってみて、副作用がきつければ、その時考えましょう!!」と言われたので、まずは、月曜日に点滴をすることにしました。

 そうこうしているうちに、自宅療養期間が終了し、職場復帰できました

職場復帰すると、業務に追われ、考える時間が減るため、不眠症が解消されました。

 職場復帰後の術後補助化学治療については、次回以降で書いていきます。

2025-08-03

大腸がんステージ3b治療記録 その4 入院(退院まで)

 地獄のような一夜を過ごし、朝が来て、自分の病室に戻ることになりました。

看護士さんから、「先生から、尿道カテーテル(尿道から膀胱に管を挿入し、尿を体外に排出)をとって、自分でトイレに行くように言われてますので・・・。」と言われ、尿道カテーテルを外されました。「この痛い中、自分でトイレへ行けとは、鬼だな」と思いつつも、仕方がないので、従いました。

病室に帰ったら、まずは自分で起き上がる練習です。柵に必死でつかまりながら、何とか起き上がりました。これで、何とかトイレに行けることが分かったので、ゆっくり、寝てればいいのですが、やはり、傷口は痛い。手術の夜は5分ぐらいしか、しかも転寝程度しか眠れなかったので、さすがに夜は眠れるだろうと思っていましたが、甘かったです。手術翌日、その次の日の夜もほとんど眠れませんでした。また、このころになると手の甲に入れている点滴の針のあたりが痛くなってきていて、少しでも早く、点滴生活を脱出したいと思うようになっていました。トイレとかに行くとたまに血が逆流することもあり、地味にストレスでした。

手術の2日後の昼食から全粥が出て、食事ができるようになり、無事、点滴を外すことができました。手術前に肺活量を戻すための息を吹き込んだり、吸ったりする道具(おもちゃのようなもの)を渡されており、それを3回/日程度やってました。手術の翌日は、手術前の半分くらいしか肺活量がなく、手術によるダメージを実感しました。

手術2日後ぐらいから、術後の合併症の1つである内臓の癒着を防ぐため、結構、病棟内を歩いていました。とはいっても、50mぐらいを1日3回くらいですが。

術後3日目にリハビリの先生が来て、リハビリ室の案内と、その2日後から室内自転車に乗ることを勧められました。自転車には術後、4日、5日の2日間、乗りに行きました。

術後、6日目に、主治医(執刀医)の先生の診察があり、病状の説明、病理検査の結果、今後の予定を聞きました。

まず、病状は幅2cmで、周方向に75%ぐらいの腫瘍でした。病理検査では、一緒に削除した20個のリンパ節のうち、2個に転移していたことが分かり、ステージ3bとのことでした。今後の予定としては、術後化学療法、いわゆる抗がん剤治療をすることを勧められました。そのとき、医者から、「このステージの5年生存率は60%です。高いっちゃー、高い。低いっちゃー、低い。」と言われ、結局は「自分で決めろって、ことだな!」と受け取りました。また、職場復帰について聞いたところ、「正直、明日からでも行けるでしょ!?」と言われ、「傷口が痛くないわけではありませんが、デスクワークならできますね。」と回答したものの、10日ぐらい自宅療養することになりました。

予定通り手術前2日、手術日、手術後7日の計10日の入院を終え、無事退院出来ました。

自宅療養については、次回で書いていきます。


2025-07-20

大腸がんステージ3b治療記録 その3 入院(手術)

 さて、いよいよ手術の日が来ました。

何かあったときのために、妻に病院に来てもらい、手術が終わるまで、病室で待機してもらうことになりました。これは、基本的に病院でのルールでもあるようです。

事前に言われていた手術時間は、8時間程度だったので、改めて、妻は暇だったろうなと思います。 そして、感謝です。

手術室へは8時15分ごろ向かいました。よくドラマでは、ベッドに寝て運ばれていく みたいなシーンがありますが、実際は歩いて向かいました。点滴を継続したままなので、その移動用の器具を押しながら。

手術室はなんか殺風景というか無機質というか、そんな印象です。手術台に寝て、麻酔科の先生から、「今から麻酔をかけていきますね。麻酔が聞いたかどうか名前を呼びますね。」と言われ、「〇〇さん」と呼ばれたので、麻酔が始まったのかと思いきや、次に「手術は終わりましたよ。」と言われました。麻酔導入の名前を呼ばれたことは一切覚えていません。

手術は「腹腔鏡下結腸右半切除術」というもので、おなかに4つの穴をあけるのと、へそ付近を5cmぐらい切って、そこから切り取った大腸を取り出す手術です。切り取る部分は、大腸の右側の部分を切る(大腸の半分ぐらい)というものです。切り取った後、残った大腸と小腸を接合するというものですが、大腸と小腸がくっつくのはなんか、不思議だな~と今での思います。

無事、手術は終わりましたが、その晩は集中治療室に泊まります。夜の8時までは1時間に1回、自動で、8時以降は2時間に1回自動で血圧が測られます。血圧を測られると、「やっと2時間経った」と思って、血圧を測るのが待ち遠しかったことを今でも思い出します。

痛いときはボタンを押すと自動で痛み止めが点滴されるようになっていました。1回、どれぐらい効くのかなと思って、押してみましたが、少しだけ痛みが和らぐだけだったので、1度しか使いませんでした。

その夜は痛みのせいで5~10分程度、転寝をしたぐらいで、ずっと眠れなかったと記憶しています。ただ、穴もあけてなく、切ったところでもない場所が痛かったように記憶しています。看護士さん曰く、「手術中はいろんな姿勢をさせられているので、そういうことが起こるかも」とのことでした。

予定通り、翌日(手術の次の日)の朝、病室に戻ることになりました。

病室に戻ってからのことは次回以降で書いていきます。


2025-07-08

大腸がんステージ3b治療記録 その2 入院(手術まで)

  大腸がんと診断され、その日のうちに外科の先生を紹介されました。

 外科の先生は軽く「切ろ!切ろ!」と言われました。内視鏡の写真から、切らないと腸閉塞を起こすと自分でもわかったので、「切る」一択だなと思っていると、隣で妻が「切らないとどうなりますか?」と先生に質問していました。「え~、切るしかないでしょ!!」と思いながら、先生の回答を聞いていました。先生の回答はやはり、「切らないといずれ腸閉塞を起こします。」というものでした。それで、手術することになりました。

 入院には、連帯保証人が必要で、兄にお願いしました。両親は健在ですが、心配をかけたくないのと、そもそも、もう働いていないので保証人にはなれませんでした。

 ちょうど、コロナがはやり始めた時期で、先生から「不要不急の手術はしないことになっているが、この状態は不要でも、不急でもない。」と告げられ、すぐに手術をすることになりました。でも、「不要の手術」は、コロナでなくてもしないでいただきたいと思ったのを覚えています。5月20日の手術が決まりました。手術は腹腔鏡手術です。

 5月18日に入院しました。入院までの間は、会社に診断書を提出し休む手続きをしたり、健康保険組合に高額療養費制度の申し込みをしたりで、ドタバタしていました。

 入院初日は、看護師の方から病院の説明を受けました。コロナの影響で、4人部屋でしたが、入った部屋は私ともう一人の方の2人部屋状態でした。

 手術前日は看護師の方から手術の説明や、麻酔科の先性の点滴針の装着がありました。最初は研修医の先生が針を入れようとされましたが、上手くいかず、結局、指導医の先生が針を入れました。手の甲に入れました。

 それと、腸の中を空にするため、大腸内視鏡の時と同じく、2リッターの下剤を飲みました。この下剤を飲むのはあまり苦痛ではなく、問題なく腸内を空にできました。

 あとは、手術をするあたりの剃毛と、へその穴付近から切り取った大腸を取り出すため、へその穴の掃除を看護師の方にしていただきました。

 さて、次の日は手術です。とはいえ、「緊張で眠れず」ということもなく、普通に寝れたと思います。

 手術以降については次回以降で書いていきます。

 


2025-06-29

大腸がんステージ3b治療記録 その1 病気発覚までの経緯

  2025年6月26日に大腸がんの手術後、5年経過し、寛解となりました。

 今回の病気に関する記録を残しておこうと思い、今日からしばらく、書いていきたいと思います。

 今回は、病気が発覚するまでの経緯について書いていきます。

2018年3月に会社の健康診断で、肺に影があるとのことで、精密検査を受けました。

健康診断を実施している病院の精密検査を専門にする科があり、そこを受診しました。

CT検査を行い、怪しい箇所が1か所あるとのことで、内科の呼吸器担当の先生に紹介され診ていただくことになりました。

こちらでは、まず、1か月後、3か月後、半年後、1年後にCT検査を行い、影が大きくなるかどうかを見ていくことになりました。

※肺の怪しい影については、増大することなく、以前の風邪等による跡との診断になりました。

 2019年2月に献血を受けに行ったところ、比重が足りずに献血してもらえませんでした。過去に何度も献血してる中、初めてでした。3月に会社の健康診断で、ヘモグロビンの値が12.8と下限基準の13.7を下回っていました。ただ、健康診断での判定は「経過観察」だったので、あまり気にすることなく、過ごしていました。

 ところが、10月ごろ、坂を歩いて上がるときに以前より息切れがするのを感じ、3月の検診結果でヘモグロビンが低かったことを思い出し、ディアナチュラ 鉄・葉酸というサプリメントを飲み始めました。

 年末に実家に帰ったときに、母親から、顔の色が悪いとの指摘されましたが、この言葉にもあまり気を留めずにいました。

 そうこうしているうちに、肺のほうの最後のCT検査があり、その結果を聞きに行きました。その時、先生に「前回の健康診断でヘモグロビンの値が低かった」と相談したところ、「値が低いこと自身は問題ないが、前が高く(正常値)で下がったのであれば、心配だから病院で診てもらったほうがいい。」と言われ、心の中で、「ここ、病院なんだけどなぁ~」と思いつつ、「3月に会社の健康診断があるからその結果を見てからでいいか。」と思って、その時は何もしませんでした。

 3月になり健康診断の結果、ヘモグロビン値が9.5まで下がっており、さすがに心配になり、ネットで原因を調べました。判定も「要精密検査」だったので、健康診断をしてもらった病院に精密医検査の予約の電話をしたところ、受付のかたから「貧血はかかりつけ医に診てもらうことになっている。」と軽く断られました。しかし、ネットで調べた結果、原因は結構重篤な病気が並んでいたので、「何とか診てください。」と粘り、精密検査を受けることになりました。

 精密検査に行くと、医者からすぐに「胃の検査と大腸の検査をする」と告げられました。

胃の検査は「胃内視鏡カメラ」一択、大腸は「大腸内視鏡カメラ」か「大腸CT」の選択があるとのこと。カメラは入れたくないので、「大腸CT」を選びました。

 胃カメラも初めてで、鎮静剤を使いました。以下のような日程で検査が進みました。

4月17日 大腸CT

4月20日 胃カメラ

4月27日 結果説明&精密検査(転移の有無を調べるためのCT検査と手術に備えての心機能検査)

5月1日 大腸カメラ

5月7日 結果説明

 胃カメラの結果は、「ピロリ菌」が住んでいることが発覚。でも、貧血の原因ではないとのこと。

 大腸CTの結果は、大腸を膨らませても膨らまない部分があり、「ここが怪しいが、判定するには大腸カメラを入れるしかない。」といわれ、結局、大腸カメラを入れることに。「こんなことなら最初から大腸カメラを入れておけばよかった。」と反省しつつ、内科を紹介され、内科で大腸カメラを入れる日を決めてその日は帰りました。

 検査の結果、大腸(右側の上行結腸部)に腫瘍があり、病理検査の結果、最も悪性度が高いがんと判明しました。また、「リンパ節も2か所腫れていて、リンパ節転移が疑われる」という結果でした。外科を紹介され、その日のうちに手術に向けて入院等の手続きを行いました。

 これが病気発覚までの経緯です。貧血以外には目立った症状は出ていませんでしたが、今から考えると常に便が黒ずんでいたと思います。

 なお、2012年までは健康診断に組み込まれていた便潜血検査が、2013年以降は申し込みをする形式に代わり、ついつい申し込みを忘れ、受けていませんでした。

 私の発症した部位の場合、便潜血検査で発見できていたかは不明ですが、それでも受けていなかったことを無茶苦茶後悔しました。

 次回は、入院~手術~退院について書いていこうと思います。